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小学生時代の友人父に讀賣新聞社記者さん 埼玉時代は両親とも巨人ファンも神奈川以降父は地元横浜大洋ファン

讀賣新聞社

小学友人父に讀賣記者さん

 なにかとなじみ深い新聞社さんになっており、購読する事はなかったようですが、友人のお父さんに記者さんがいたりと割と身近。

 たしかに、アンチ的なところもあったようなのですが、逆恨みのようなところもありそう。

 おおよそ、プロ野球がもとになっていそう。

1978年まで埼玉県新座市で暮らす

 1978年まで埼玉県新座市で暮らしており、両親とも巨人ファンでありました。

 昔話のようなものも、話してくれたりもするのですが、中にはお隣さんのものもあり、野球中継の際、巨人がリードされると、お隣から、歓声が聞こえてくる。巨人が逆転し態勢が決するようになると、チャンネルを変えたか、突如として静まり返る。そんな話をしてくれたこともあった。時代も感じられるし、お隣さんとの距離も感じられて好きな話でもあります。 

 

78年以降神奈川県

時同じくして川崎球場から大洋も

 78年以降、神奈川県横浜市にお世話になっており、最寄り駅は東急東横線綱島駅。

 歩いて7分程度のところに暮らし始める。時同じくして、川崎球場から、横浜スタジアムの完成に伴い、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)が本拠地を横浜に移す。川崎球場には、入れ替わるようにロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が本拠地を移す。

 

横浜以降父に好みの変化が見られる

 横浜で暮らすようになってから、父に好みの変化が見られ始めた。

 それまで、巨人ファンであったにもかかわらず、地元、大洋ホエールズを応援するようになる。母は従来通り、巨人ファン。とりわけ、作新学院江川卓さんが好みだった様子。なにかと、江川さんの話をするのだけれども、父はそれが面白くないらしい。雰囲気は良くない。凍り付く思い。そんな感じではあるものの、どこでもらってきたか、江川さんのサイン色紙などもお土産でもらってくる一面などもあるから、子どもに分からない。 

 

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。

もともとは独立した法人の名称で、グループ再編により定義づけは変化している。

そもそもはかつて首都圏をはじめ、東日本地域において読売新聞を発行していた「株式会社読売新聞社」という商号の会社だった。

社名の由来は、江戸時代からの読みながら売る方法「読売」と、それができる「平易な新聞」から。

読売新聞社 - Wikipedia

中継が少ない 定着しない

"ミルミル” YakultSwallowsファン

 野球をベースにいがみ合うように見えたことから、好ましいものと野球を感じなかったようで、興味の対象は別にあったようです。プロ野球チームで一番は初めに好きになった球団は、東京YakultSwallowsになっており、宅配でヤクルトを注文していた事から。ヤクルトレディが運んでくれた、ミルミルをいただいたことも思いだされる。自然とヤクルトファンに。ただ、中継も行われていないことから、定着する事はない。

クラブ活動Soccerジャージで過ごす

 サッカーにも興味を持ちはじめる。

 キャプテン翼。また、Soccerクラブにも所属。女子生徒はクラブ活動は、バスケットボールになっている。田舎の学校でもあったから、オシャレをして通学するような感じでもなり。ジャージで過ごすことも。そのころ、身につけていたものが、adidas、puma、Asicsになるようです。Nikeに関しては、遅く上京した1995年辺り。お初は、AIR ZOOM FLIGHT 95。

 

オープン戦観戦から横浜大洋ファン

 小学校4,5年生ころ、クラスメイトにオープン戦に誘われる。

 地元横浜スタジアムで行われる、横浜大洋対ロッテオリオンズ。なんどか、家族でも訪れたことはあったが、クラスメイトと観戦することは、初。当時、オープン戦は無料で開放されており、外野席も現在のように区切られておらず、一枚板を敷かれるようになっている。想い想いに座り観戦。横浜スタジアムの構造上、外野席は高い位置にあり、少し怖い。フェンスも高く、フェンス際のプレーを確認することは難しい。ただ、高い分、心地よい想いになったようで、以降、地元、横浜大洋ファンになった。 

 5年生になったある日の事、転校生がやってきた....どんなやつなんだろうか...